協会のあゆみ
設立前史 1940(S.15)〜1945(S.20)
1940 (S.15)7月7日 七・七禁令の施行
正式名称は「奢侈品等製造販売制限規則」のこと。室町市場における対象となった商品(金銀糸・漆糸の縫取、豪華な絵羽物など絢爛を極めた衣料品)は、当時の価格で恐らく一千億円の在庫と推定された。この膨大な在庫品の販売許可を獲得すべく、業界は一丸となり禁令解除に向け陳情運動を展開。 その結果、一部が一定の規格基準のもとに販売許可となった。しかし市場では正式に販売許可されたものに便乗した未認定の奢侈品が闇取引される事態も起こり、商工省では市場の在庫品を一掃する事により闇取引の温床を断ち市場の明朗化を計る大局的な見地から、最終的には陳情を入れ、禁令交付後1年で一部の超奢侈品を除き大部分の在庫品の販売が解除された。
1941(S.16)10月 企業整備要綱通達(第一次企業整備)
すべての人的・物的資源が国家統制のもとにおかれ、商工次官通達により史上空前絶後といわれる企業整備要綱が通達された。これに伴い17年1月に2500社の問屋は約1割の275社に整理された。 残存資格は昭和13・14・15年の3年間の販売実績を1年平均150万円以上と定め、未満の者を統合または吸収することとした。
1942(S.17)1月 第一次企業整備実施 繊維製品配給消費統制規則公布
衣料品切符制度が実施された。
10月 統制会社令公布
絹人絹については日本絹人絹織物配給統制株式会社が設立され、企業整備による275社が、この統制会社の業務代行人として新発足する事となった。
1944(S.19)1月 第二次企業整備実施
戦線の拡大とともに、18年10月に第二次企業整備令が発令され、第一次に続いて更に約1割の21社が残存し業務代行店となった。
大建京都支店、市田商店、藤井商店、千切屋商店、松龍本店、伊吹商店、美濃利商店、入江商店、大橋弥商店、市原亀之助商店、興服京都支店、上田勘商店、外与商店、千總商店、矢代仁商店、古荘商店、東司産業、小泉商店、吉忠商店、特殊織物、京都履物
1月25日 日本織物統制株式会社発足(略称:織統)
第二次企業整備に対応して、統制機関も整備統合。
1947(S.22)〜1949(S.24)
1947(S.22)7月12日 登録卸業者制度
マッカーサー司令部より登録卸売業者制度設置の覚書が出され、全国から483名が登録申請。うち332名が適格者となった。京都地区は96名。
1947(S.22)12月9日 京都絹人絹織物商協議会設立(略称:京都絹協)
京都商工会議所講堂において、登録商制度により新発足した絹人絹織物登録卸売業者の京都地区業者96名中89名の出席により創立総会開催。(織協の前身)
事務所:中京区六角通柳馬場東入ル大黒町71
初年度末会員数:登録商社87社と他地区の登録商社支店・出張所を加えて総数119社
初代理事長:松村龍之介
1948(S.23)11月3日 第1回運動会
会員の親睦と体位の向上を目的に洛北中学校において開催。
参加商社43社 参加人員654名
1949(S.24)3月7.8日 第1回京都染織見本市を開催
戦後、第1回染織見本市を京都府・京都市・京都商工会議所の後援により開催。
第一会場:華道会館(室町通四条下ル)、第二会場:参加商社店舗(118社)
来会者数:8446名 取引成立額:6億2981万8千円
4月26日 京都絹協事務所を移転
移転先住所:中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町665
年度中 春秋の京都染織見本市等年間15回開催
来会者総数:全国小売業者延34372名
7月11日 京都織物卸商協会(織協と略称)と改称
京都絹人絹織物商協議会臨時総会を開催し、京都絹協は名称を「京都織物商協会(織協と略称)」と改称。
6部制により新発足(西陣織物部、染呉服部、白生地部、関東織物部、製品部、毛織及服地部)。
8月26日
シャウブ勧告発表
第1回京都染織見本市
第1回全関東織物競技大会
第1回全関東織物競技大会
1950(S.25)〜1952(S.27)
1950(S.25)
1月1日 織物消費税と取引高税の廃止
織物消費税は明治38年、日露戦争の戦費調達のため3年間の時限立法により10%の税率で創設された。しかしながら3年たっても廃止されず、その後40数年間にわたり蔵出税として重くのしかかっていた。昭和21年に10%から40%に税率が引き上げられた絹人絹織物について、アメリカの経済学者シャウブ博士の勧告に基づき10%の引き下げと、それに続く完全撤廃に向けて、関係当局に対する強力な要請の結果、25年1月1日より織物消費税と取引高税は完全撤廃となった。
しかし、シャウブ博士の勧告文があまりに早く発表されたため、40%の税金廃止による製品値下がりを見越した買い控えにより、価格の暴落が起こり京都市場の影響は甚大なものとなった。
6月25日 朝鮮戦争勃発
朝鮮戦争が勃発しアメリカによる繊維製品買占めによる特需景気が生まれた。
8月(4日間)第1回軟式優勝野球大会開催
本年度から会員相互の親睦と体位の向上を目的に軟式優勝野球大会を開催。
参加チーム:33社
会場:西ノ京中学グラウンド
8月10.11日 第1回北海道京都染織見本市開催
販路開拓と地方前売り呉服店のため、京都府と共催で北海道において第1回出張大見本市を開催。参加商社:39社
10月19.20日 第1回九州京都染織見本市開催
販路開拓と地方前売り呉服店のため、京都府と共催で九州において第1回出張大見本市を開催。参加商社:44社
年度中 春秋の京都染織見本市等年間24回開催
来会者総数:全国の小売業者延34640名
11月10日〜12月22日 第1期染織の知識講習会
中堅社員の養成を目的とした染織の知識講習会を開催。
京の初市開催
全国服地見本市会場
京都染織品宣伝大会
1951(S.26)
7月5日 第1回白生地求評会
7月13日 染織講社財産の本会引渡し
これまで染織講社の運営主体は京都市経済局商工貿易課であったが、当協会に移行すべく、京都市役所市長室において、染織講社関係者立会いの元に染織講社財産の引渡しを受けた。
引受財産
1.時代衣裳 計142組
2.染織祭用祭具、その他一式
3.信託証書
4.火災保険契約書
5.預金通帳
6.簿冊
織協ニュース第1号の発行
戦後、室町業界に服地取り扱い商社が急増。 毛織及服地部所属会員75社から、最も新しい服地とデザインを収録したPR雑誌『織協ニュース第1号』を発行。
年度中 春秋の京都染織見本市等年間26回開催
来会者総数:全国の小売業者延37,430名
1952(S.27)
年度中 春秋の京都染織見本市等年間46回開催
来会者総数:全国の小売業者延39,664名
9月5.6日 京都市勧業館進駐軍病院接収解除に伴う復帰第1回の催しとして京都染織見本市を開催
11月 昭和28年版織協手帳の発行
第7回全国服地大会
会場展示風景
第1回白生地求評会開催
第5回西陣織物宣伝大会では
納涼大会を開催