コラム
染織祭の物語
■第2回 染織祭を伝えた本
初回のお話で染織祭のイメージが少しできたでしょうか。まだ多くの皆さんは京の四大祭の一つだったということを疑っておられるかもしれませんが、そのことはまた先で詳しくお話しますので、楽しみにお待ちくださいね。
さて、染織祭は昭和6年(1931)に創設され、3年目から京都花街の芸妓143人が8時代(古墳〜江戸)の風俗衣装に身を包んだ行列が加わりますが、昭和12年に日中戦争が始まると翌年から華やかな行列は中止となってしまいます。その後は染織業界の人々が染織の神々を祀ることだけが続きます。終戦後も一部が世に出ることはありましたが、行列全体が復活することはなく、京都の人々から忘れられてしまいます。
しかし、短期間とはいえ、豪華な行列の記憶はどこかに残っていました。友禅染にその名を遺す宮崎友禅の生誕330年とされる昭和59年(1984)、染織業界の人々が「染織まつり」を企画し、一度だけ行列が復活します。今度は公募で選ばれた一般女性が着装しました。その記録として出版されたのが『写真でみる日本の女性風俗史』(京都書院 昭和60年)です。この本には昭和8年に出版された『歴代服装図録一 染織祭編』にある染織祭衣装の解説が収録されています。これらの本が染織祭を知る手がかりとなったのです。
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