コラム
染織祭の物語
■第3回 さまざまな分野から研究される染織祭@
─染織史・都市民俗学からのアプローチ
前回は、染織祭の時代風俗行列が完成した時に出版された『歴代服装図録一 染織祭編』(昭和8年)、その本をもとに戦後一度だけ復活した「染織まつり」の記録『写真でみる日本の女性風俗史』(京都書院 昭和60年)についてお話しました。
最近では平成27年(2015)に神戸ファッション美術館が「日本衣装絵巻―卑弥呼から篤姫までー」展で染織祭衣装の大半を展示しました。その図録では衣装制作にあたって用いられた技法について詳細な解説があります。
このように「衣装」に注目する本が先行していますが、「祭り」としての研究もあります。阿南透氏「昭和初期の『新しい祭り』―京阪神の事例から」*では、大阪市の「商工祭」(昭和6年創設)や神戸市の「みなとの祭」(昭和8年創設)と「染織祭」を並べ、行政が主導した「新しい祭り」として論じています。
確かに3つの祭りには、京都が女性の風俗、大阪が豊臣秀吉の時代、神戸が楠木正成の活躍とその都市に縁のある時代風俗行列があり、監修者も共通しています。大阪市は大正15年(1926)、京都市は昭和6年、神戸市は大正9年と昭和4年に周辺地域を合併して大きくなり、新しい祭りで市民意識を盛り上げる意図があったのでしょう。ただ、染織祭は行政が主導した祭りだったのでしょうか?
*江戸川大学編『情報と社会』17 2007年、53〜66頁
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