<スタッフ紹介>

北野裕子

 

コラム

 

染織祭の物語

 

第4回 さまざまな分野から研究される染織祭A
         ─歴史学からのアプローチ

 

 前回みたように染織祭は服装史・染織史から「衣装」、都市民俗学から「祭り」についての研究があります。しかし、なぜ染織祭が創設されたのか、だれが祭りの中心となって費用を負担したのか、いつまで続いたのか、多くのことが不明なままでした。
 歴史を専門とする私は、まず、染織祭が昭和6年に創設された点が気になりました。当時は昭和恐慌の渦中で、昔は教科書に東北の農村の子どもたちが大根をかじる姿や娘身売りの写真が載っていたように、大変、経済が厳しい時代でした。ただ、近年は大衆消費社会が登場する側面も注目されています。
 次に祇園祭は現在も巡行は男性がメインですが、戦前は時代祭も葵祭も女人列がないのに染織祭は豪華な衣装を着装した芸妓が行列の主人公であること、さらに行列は8時代(上古・奈良朝・平安朝・鎌倉・室町・桃山・江戸初期・江戸末期)で構成されており、だれがそんな時代区分を考えたのかなど疑問ばかりでした。
 このように服装史・染織史や民俗学、歴史、経済史、女性史、服飾史、花街研究など多分野からアプローチできる染織祭ですが、昭和初期の京都に詳しい『京都の歴史』第9巻を見ても書かれていません。従来の昭和恐慌像とは異なる染織祭の実像が知りたくなったのです。

 

 


 


山下文男著『昭和東北大凶作』の表紙
(無明舎出版 平成13年)
豪華な衣装行列
(染織祭絵葉書 昭和8年)