<スタッフ紹介>

北野裕子

 

コラム

 

染織祭の物語

 

■第10回 染織祭創設への道のり

     2.具体化する祭り A染織講社の設立

 

 

昭和61月後半から始まった報道はやがて頻繁になります。1月末には「時代祭、祇園祭に準じて京都の三大祭」にという意気込みで染織業者を中心に講社を組織すること、216日に発起人会を開催して染織講社が主体になっていくこと*が決まっていきます。

ところでこの染織講社とはどのような組織だったのでしょうか。その「規約」によると「社員」は【第一部】染織業者の団体、【第二部】染織と関係ある団体、【第三部】特に本講社の事業を翼賛する者及びその団体(6条)で、また、「役員」は会長・副会長・評議員・理事を置く(8条)となっています**

1回染織祭では日本染織物見本市協会と西陣織物商組合・京都半襟商組合・京都刺繍同業組合・京都染物同業組合・西陣織物同業組合・京都縮緬商組合・京都浜縮緬商組合・京都生絹同業組合・丹後縮緬同業組合・京都染呉服商組合・関東織物商組合(盛奨会)・京染呉服悉皆同業組合・京都木綿商組合の業界13団体に京都小売商連盟が、のちには蚕糸商同業組合・洋反物商組合、さらに福井織物同業組合や秩父織物同業組合も参加しています。

また、役員には名誉会長に府知事、会長に市長、副会長に会議所会頭、評議員(51名)は各組合長・百貨店社長・各社社長ら、常務理事(24名)に各団体の副組合長・神職ら、理事(12名)に室町大手問屋の支店長・支配人ら、幹事(4名)には府・市から2名ずつ就任しています***。呼びかけた業界団体の上に行政が乗る「公民合同」の組織と言えるでしょう。

 

*『京都日出新聞』昭和6年(1931年)130日付、216日付
**染織講社「染織祭記録」1-1
***山本花魂編『染織祭グラフ』山本印刷工場 昭和6年(1931年)

 

染織講社の組織図